伝承に彩られた池「姿見の池」

2020/08/29

姿見の池という名前の由来は、鎌倉街道の宿場町だった恋ヶ窪の遊女たちが朝な夕なに自らの姿を映していたことによると云われています。現在は、池や水路の他、段丘上の樹林(通称日影山)や池周辺の樹林、湿地等一体的に整備され、かつての武蔵野の里山風景を四季それぞれに楽しむことができます。

また池には、恋ヶ窪という地名の由来の一つ、傾城・夙妻太夫が武将・畠山重忠を慕って池に身を投げたという悲恋の伝承があります。「武蔵野夫人」(大岡昇平著)にも登場するほか、翡翠(カワセミ)など野鳥が観察できるスポットとしても人気があります。東京の名湧水57選に選ばれています。現在、池の水源は武蔵野線トンネル内に湧出する地下水を揚水・導水しています、東福寺の前のマンホールの蓋には「湧水」との珍しい刻印(写真の1枚目)が見られます。

また、姿見の池周辺では、いくつかの市民活動団体が環境の保全やホタルの復活(自生)を目指す活動を続けています。

*段丘上の樹林とこれに続く平坦地一帯は、東京都の「国分寺姿見の池緑地保全地域」に指定されています。姿見の池緑地面積:15,500㎡ (東京都緑地保全地域:10,500㎡ 国分寺市緑地:5,000㎡)

*現在地の周辺は高度成長期(昭和40年代)埋め立てられ、資材置き場となっていたところ、平成になり国・都の水循環事業についての施策動向を踏まえて整備が進められたものです。したがって池も往古からのものではありません。

*平成3年(1991)10月、同年8月以降の記録的長雨、台風21号の接近に伴う大雨などの影響による大量の地下水の流入によりJR武蔵野線新小平駅が水没、武蔵野線が数か月にわたって運休するという事故が発生しました。そこで、JR東日本では、トンネル内部に水抜きのための横井戸を設置し、地下水の抜き取り(排水)を行いました。
その後、JR東日本、東京都、国分寺市が、抜き取った地下水の有効利用について協議を重ね、抜き取った水の、姿見の池および野川への導水(最大日量3,000t)について合意し、平成14年3月、工事が完了したものです。